立場が変わればみんな大変で、立場が変わればみんな楽に見える
妊婦生活の経験で、電車やバスで誰も席を譲ってくれないという話を娘たちとしていた。誰も席を譲ってくれないことが当たり前になり、妊婦たちが逆に気を使い、マークを隠したり、席を譲られない隅に居るようになるそうです。この話し、本当に余裕がない人であふれているんだなと感じました。
声の大きい「不満」には、「かわいそう」を盾にビジネスが生まれてしまう。ビジネスは良いことですが、声の大きい「不満」ではなく、膝を抱えて隅っこで不安を抱えている、声の出せない人の声を聞きながら、そのような人をゼロにするための解決へと向かう感情的ではなく、建設的なビジネスが、本当のソーシャルビジネスだと私は思います。
今は「かわいそう」な人がいた方がビジネスになる、そんな雰囲気を感じることが多いです。
気付けば、シングルマザーも「かわいそうなシングルマザー」と思われるようになりました。シングルマザーにかわいそうとか言っていたら、こどもの未来は創れません。「かわいそう」の裏で、こどもたちの未来は閉ざされていくのです。
だからこそ偏見も生まれます。みんなが余裕が無い中で、誰かが優遇されていると”見える”ことが許せない、という感情も起きるのでしょう。誰も幸せじゃない。いつもそう思います。
最近はありませんが、協会を立ち上げた頃、テレビでシングルマザーが大変、みたいなことが取り上げられると苦情のような電話が数件掛かってきました。私たちがテレビに協力したわけでもなく、かわいそうだから助けてください、なんて言っていませんが、テレビを見ていて、許せなくなってネットで調べたら先頭に出てきたのか、何故か当協会に電話してきたのでしょう。
多くが、「夫はいるけど私だって大変なのよ」というものでした。また「シングルファザーも大変なんだ」も多いです。
電話をくれた方の中で、少し年配の方のことをとても鮮明に覚えています。「必死にパートをしながら働いてきて、それでも今でも余裕があるわけではないのに、嫁は当り前のように孫を見てという。私だってパートがあるのよ、働かなきゃいけないのに」という内容。
この時、何が大変なのか、何をどう頑張っているのかを、ゆっくり話を聞かせてもらいました。30分以上は話したと思いますが、最後はすっきりされたのか、「シングルマザーの方も大変よね」と言ってくれました。
私たちシングルマザー当事者は、「私は大変」なんて自ら言いません。何故なら、そんなこと言ったら「私の方が大変よ」という答えしかこないので、お互いに気持ちよくないのを知っているからです。
立場が変わればみんな大変だし、立場が変わればみんな楽に見える。
大変の優位性を取ることより、今、自分が大変だと感じている状況を、どう楽な状況に変化させられるかを考えた方が建設的です。
大変大変と思い過ぎると、視野が狭まり、大変のマウント合戦になってしまいますので、今日直ぐに止めましょう。