子どもからお手伝いという、素晴らしい役割を、取り上げない見極めで
今朝の朝ドラを見て、「ヤングケアラーと強く問題視して、子どもの成長に何が必要かを知らない大人が、お手伝いまでをとり上げないことを祈りたい」と思った。
■心から相談してくれた方の喜びを喜べるような自分であること■
昨日はきぎょう塾でした。今は18期です。毎回、どんどんインプットして、次までの2週間の間に、たくさんのアウトプットをして自分の中に落とし込まれています。素晴らしいなと思います。いくつになっても、シングルマザーだって、どんどん学ぶことができます。
きぎょう塾を受講される方には、何かしらの支援を将来的にやりたいと言う方が多くいらっしゃいます。今期もそうで、シングルマザー支援、高齢者支援などを考えていらっしゃいます。
その手前でやることとして「一度しっかり稼ぐことに意識を持っていきましょう」と伝えています。支援者は、他者を支援している自分に安心するというマインドは絶対にダメです。そうではなく、心から相談してくれた方の喜びを喜べるような自分であること。それには一度しっかりと稼ぐことはとても大切なことです。
稼ぐといってもお金が欲しい!というような意味ではなく、企業に貢献した結果、対価として生活が潤う報酬をいただく。そしていただけることに感謝をする。その経験ですね。
なんでこんなきれいごとみたいなことを並べ立てているかと言うと、」結果的に誰かの役に立つという事を本気でやった人しか、幸福度が高まらないからです。
■あれもヤングケアラー、これもヤングケアラー■
ヤングケアラーという課題。ここも同じで、子どもたちが誰の役に立ちたいかというと、これは本能的に親の役に立ちたいんです。もちろん親がだらしなくて、必要以上には良くないですが、いつもこのような時は過剰に「あれもヤングケアラー、これもヤングケアラー」となりやすいので危惧しています。ここでもまた、必要以上に親が苦しめられてしまうのか・・・
子どもからお手伝いという、親の役に立つ、家族の中の自分の役割を取り上げたら、幸福度の低い大人になり、企業にも社会にも貢献することができない大人になる可能性が高いです。どうしてわざわざ、自分勝手で依存心の高い大人を作る必要があるのでしょうか?
家庭は最初に属する小さな社会です。良し悪しはそれなりにあるかもしれませんが、自分の境遇を受け入れて、それなりに乗り越える力を付けることが必要です。ストーブは危ないからと取り上げた今、子どもたちはストーブを触ると火傷をすることは知らないかもしれません。
我が家は母子家庭だったこともあり、「一番大切なのは親が仕事ができる環境を作ること」でした。上の子が大きくなってからは、下の子が熱を出したら、親は仕事へ、上の子が学校を休んだり、早く帰ってきてくれたりして面倒をみてくれました。そのお陰で生活が大きく困窮することもありません。力を合わせて生きてきました。
とは言え、数年に一度あるかないかの出来事です。有難いことに、子どもたちはみな健康でした。
誰かの役に立っていると感じる日常があることで、子どもたちの自己肯定感は育ちます。自己肯定感が自然と育てば、必要以上の承認欲求を他人に求めて人間関係が複雑化したり、マウント合戦に無意識に加わって嫌な思いをたくさんすることもありません。
子どもからお手伝いという、素晴らしい役割を、取り上げない見極めで、ヤングケアラーという課題と向き合えることを望みます。