子どもたちの声が響いている環境って、幸せだな
今朝は車に乗る時、凍るまでいかないが、その手前だった。もう少しすると、朝早い時はお湯を持って車に乗らなきゃいけなくなります。
1つの苦情で公園が消えるというニュースは、ちょっと時間が過ぎてもかなりの衝撃が残っています。
我が家の前にも公園らしきものがあり、子どもたちの声はいつも響いています。人によるのだとは思いますが、私は「うるさいな」とは思うけれど、言いながらも微笑んでしまうような感じなんですよね。
子どもたちの声が響いている環境って、幸せだなと、平和だなと感じます。
しかし公園の前には「ボール遊び禁止」という貼り紙があって、子どもたちはボール遊びできないんだ、運動能力付けようと思うと、お金を掛けて習わせるしかない世の中なんだなと思います。
たった1つの苦情で、多くの子どもたちのための遊び場が消える。これを許していいのだろうか?と私は疑問でしかないです。なんか、「寄り添う」ということに、嫌な気持ちを感じた人に「寄り添い」過ぎな気がしています。嫌だということを排除することは、嫌だと思わないように対応していくより簡単ですが、全ての人の嫌だを全部排除していたら、何もできない何も楽しくないと感じる人が大多数になるのではないでしょうか?
幸福度低そうですね。
ただ、この問題の根底って、役所に驚くほど苦情の電話がくる、ということだと私は思っています。業務に支障をきたすほどの苦情の電話があるようです。苦情対応以外の仕事が山盛りの中、苦情の電話に労力を奪われてしまうから、対策として苦情を受け入れる、静かにさせる、ということになっているのでしょう。これこそ対処療法でしかないです。
しかし現状は仕方のない事なのかもしれない。でもこのままでは自分勝手なクレーマーが、言ったもん勝ちになってしまう。絶対に本気で対策を練らなければいけない気がします。
これシングルマザー支援の場でもあると思っています。結果的に頑張っているシングルマザーの不利益になっていることもある。
ネットの誹謗中傷も数の多さはあるが、やっている人の数を見ていくと、1%程度とか。ならばこの1%の人を見つけ出して対策することに、もっと力を入れていき、他人のことも自分のこともバランスよく考えられる人が暮らしやすい社会になるようにして欲しいなと、切に願っています。
言ったもん勝ちを許してしまっては、もっともっと暮らしにくくなってしまいそうです。少なくとも私は、そんな未来を子どもたちに渡したくないな・・・