母親の想い、子どもと一緒に幸せになりたい、ただそれだけ

施策には当てはまらない悩みも多い。もっと人間的に解決しよう。


10年の支援の中で、記憶に強く残っている会員さんのことを話すシリーズ。
(少しフィクション)


■子どもと一緒に幸せになりたい、ただそれだけ■
コロナ禍よりもっと前、彼女はマスクを付け、上を向くことは少なかった。10名を超える女性がいる中で、暗さで目立った。言葉はきつかった。まるでありとあらゆることを諦めているかのように。

その日、シングルマザー向けの講座があった。終了後に彼女が私に声を掛けてきた。「相談したい」と。

真っすぐに私を見て、「どうしたらいいかわからない」と泣き出した。さっきまでの攻撃的な態度とは打って変わって必死に見えた。半面、誰に相談しても何も変わらない、と思っているのも強く強く感じた。

どれだけここまで絶望の中を歩いてきたのかな。

彼女は2年間、いろいろなところに相談していた。今の現状を理解してもらいたくても、欲しい答えをくれるところは無かった。

「精神科に行ったら?」「生活保護を受けましょう」「働くのは無理でしょう」
欲しい答えをくれる人がいない。

娘が・・・学校に行ってくれない。私に暴言を吐く。死にたいと言う。もうどうしたらよいのかわからない。

子どもに掛かり切ると働けない。子どもの言うとおりにしても要求はエスカレートするだけ。自分は働きたい。子どもと一緒に幸せになりたい。ただそれだけなのに。。。

■娘さんをぎゅっと抱きしめてあげて■
私は静かに話を聞いて最後に伝えた。
「家に帰ったら娘さんをぎゅっと抱きしめてあげて。本心はお母さんがどこかに行っちゃうんじゃないかって不安なんだと思うよ。どこにも行かないよ、ずっと一緒だよって言葉にしてあげて。そして大事だよ、大好きだよって言ってあげて」と。

更に泣き出した彼女が、「そんなことでいいんですか?誰も教えてくれなかった」と。

娘さんの要求がエスカレートしていったのは、言葉と想いがちぐはぐになっているのに、言葉のまんま受け取ってしまい、言葉で表現したことをやってあげようとしてしまうので、本当にして欲しいことは何も答えていない、ということだろうと仮説を立てた。だから要求はどんどんエスカレートしてしまう。

数週間後、現れた彼女の顔にマスクは無かった。前を向いて笑顔だった。
「何があったの?」
「特に何もないですよ」

「あの後どうしたの?」
「言われた通りにしたら、娘が部屋に戻り、しばらくして戻ってきて私に『もっと私を頼って』と言ってきました」

それからの親子は、近所の人にも「何があったの?」と言われるほどの変化。
彼女にとっては「特に何も変わってませんよ」

この後、ずっと親子仲良く過ごしている。



本当の子どもの想い。
子どもは親を思い通りにしたいなんて思っていない。
親のために何ができるかを考えている。
大好きな母親の役に立ちたいと思っている。

子どもは素直。大人の「やってあげなきゃいけない」は大人の都合。
子どもの気持ちに寄り添うとは、どういうことなのか、不安を取り除くとはどういうことなのか。
大人がもっとしらなきゃいけない。それが大人の責任。