両方を経験させてもらったことで、全体が見えます

朝はコーヒーを飲みます。


昨日は、初のプロポーザル評価委員に任命され、評価会に参加しました。
あまり協会はプロポーザルに参加した回数は少ないのですが、昨年から数回、東京都のひとり親支援施策には応募していました。

自治体のプロポーザル、やればやるほど民間との考え方の相違がよく理解できます。良いとか悪いとかではなく、郷に入っては郷に従え、ということは大事だと考えているので、正直知らないことを知る喜びでした。

また、この経験をしたことで、より行政支援の在り方も理解できるようになりました。

そして今回初めて、プロポーザルを評価するお役目もいただき、違う視点から行政の施策を見る機会を頂きました。どちらの視点からみても、近くで見ると思うこと。

「一生懸命に考えてくれている」という、感謝の気持ちになります。

「え!なんでこんな?」ということもありますが、根底にある、市民に都民に良き事を、というのは絶対にあります。ただ、もっと民意を取り入れて欲しいな・・・は思います。

では何故、民意が取り込まれにくいのか?を考えると、それは声を上げる人が偏っているからでしょう。選挙でも分かりやすいですが、声を上げるのは老人が多い(人数もですが)、若い人や子育て中の人は声を上げないから、無視されているのではなく、現状を知られていないのだと思います。

先日、横浜市の「共創コンソーシアム」に参加した時に、高齢の方は「最後は国がどうにかしてくれる」と考えているので声を上げるが、50代以下の人は「誰も助けてくれない」という絶望感が強く声を上げないという意見がありました。

また、声を拾う側のスキルとして「見極め力」を重要視していないのを感じます。聞こえる言葉、声をそのまま聞いてしまう。それは解決に繋がる本音ではなく、今の感情であることを見極めることができる人が拾っていかないと、声を拾ってくれても、解決には向かわず、「そっち?」という結果になり、やってもやっても問題は何も解決しないということが起こるし、既に起こっているのを感じます。

プロポーザルひとつとっても、応募する側と、評価する側の両方を経験させてもらったことで、全体が見えます。それはとても有難い経験であり、両方を経験した者としてできることは何かを考えていかなければいけないなと思うところです。