損をしてでも他人の足を引っ張りたい日本人・・・
シングルマザーの可能性を追求する、日本で唯一の支援団体の代表の江成です。
「損をしてでも他人の足を引っ張りたい日本人」というプレジデントの記事を読んだ時、気持ちがザワザワしたのを覚えています。
自分も損をする結果になっても、他人が得しているのが気に入らない、という特性が、突出して日本人にはあるそうです。かなり前にこの記事を読みましたが、最近、特に顕著にこの特性が社会で渦巻いているような気がします。
この特性が、福祉という概念をおかしなものにしてしまったのかもしれない、と私は思います。感情抜きで、社会全体が良い循環をするには、あらゆる立場の割合は重要ですが、今の福祉は、「福祉を受けていない自分は損」という風潮を作り、多くの人が福祉を自分事と考えるようになった気がします。
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とある。生活困窮者を最低限の生活を守ること、そして自立を助長すると、厚生労働省のホームページにも書いてあります。
助長とは、「能力を伸ばすように助けること。また、傾向などが著しくなるように力を及ぼすこと」とあります。
福祉とは、皆が幸せだなと感じる日常であること。またそうでない環境に陥ってしまった方がいた場合は、最低限の生活を守り、そして能力を伸ばすように助けること、と私は捉えました。
現状を理解してあげて、一旦落ち着き、安心できる環境を作る。
そして能力を見出し、伸ばすようにサポートしていくこと。
しかし今私が見ていると、ずっと守られる環境にいることで「いい」と思わせてしまっている気がします。
・児童扶養手当を貰えることを基準とした仕事を進める
・大学免除になる収入になるために仕事を辞めるように促す
・コロナ禍の生活福祉資金の返済のために仕事を辞めるように促す
こういう話もよく聞きます。大学と福祉資金の返済に関しては、年齢が50歳前後だったりすると、もう取り返しがつきません。確かにこの方法を取るしかもうない方も多く見受けられるので、仕方ないとも言えますが、その原因を作っているのが、児童扶養手当がもらえる収入に抑えることを、若い時にしてしまうからだとも言えます。
誰が悪い訳では無く、そういう空気が出来上がっていることが問題なのではないかなと思います。
もっと長いスパンで生活も仕事も考えていく。そうしなければ、結果的に困るのは当事者本人になります。