同じような経験をしている人がどれだけいるのだろうと想像することができる
今日は四女の出産準備の買物に三女と3人で行ってきます。楽しみな江成です。
女の子ばかり5人の娘を持つ私は、娘の出産というシーンを一般的よりも多く経験することになる可能性が高い。52歳という若さで、既に6回経験している。6月に7回目。かなりのベテランです(笑)
みんな一番上の子の出産の時は里帰りをする。8年前のきららの時は、今は亡き私の母が我が家にきて産後の手伝いをしてくれていた。次のりゅうとの時は闘病中だったが、ひ孫を2人抱くことができたのは幸せだったと思う。
三女の結婚式と四女の予定日が近い。どちらもコロナの影響を受けながらも、制限の中でイベントを楽しもうとしている。三女は既に半年以上延期になっているが、もしかすると緊急事態宣言による制限の中の式になるかもしれない。昨年は多くの方が式を諦めたので、開催できるだけ幸せ。四女ははじめての出産だけれど、誰も付き添うこともできなければ、退院まで夫ですら見舞いもできない。
我が娘が初めての出産を、たったひとりで乗り越えるのかと思うと、これは泣けてきます。
コロナ禍の影響は、自分が体感したことしか分からないが、ライフイベントが起こるたびに毛細血管を血液が流れるように、細部まで影響を受けていることを知る。
「通常」との違いとは?通常のことを経験できない損失は?
そもそもその物事の「通常」を知らないことは比較ができない。
医療従事者の方が言っていた言葉に、「テレビで救急が大変と言っているが、救急は通常も大変で忙しい場所」と言っていた。常に1分1秒を争ってくれている。それが日常。だから気にしなくてもいい、という事ではないです、コロナにはコロナの大変さがあり、その他の病気にはその他の病気の大変さがある。しかし通常を知らずに物事を測ることはできません。
テレビから流れてくる、「今」だけを知って物事は語れない。
娘がたったひとりきりではじめての出産を経験することを、私は娘のライフイベントを通して知り、娘と同じような経験をしている人がどれだけいるのだろうと想像することができる。私自身出産経験があるから、家族が寄り添ってくれることが、どれだけ安心に繋がるかも知っている。それがない出産は経験がない。
ただ、全ての人の経験を経験できている訳ではないので、このような辛い状況を経験している人、私が想像できないことがどれだけあるのか?とも思います。
このような状況の中で私ができることは?
自分が経験することになった事象は、前向きに乗り越える。そして他人の経験を共感はできなくても受け入れることができる人になろう。
「私だって大変」「私の方が大変」はしないこと。