日々起こる出来事の中で「不幸っぽい」ことにアンテナが張りがち?
週末は大阪だったので、2ヶ月ぶりに四女とお孫ちゃん7号に会いました。生後6ヶ月になったので「泣かれるだろうな~」と思った通り、大泣きされました(笑)
成長しています!
■日々起こる出来事の中で「不幸っぽい」ことにアンテナが張りがち?■
生活が困窮していたり余裕が無いと、日々起こる出来事の中で「不幸っぽい」ことにアンテナが張りがちですが、そうなってしまうと残念ながら「幸せっぽい」ことが起こっても気付くことができなくなります。
この現象、残念だと思いませんか?
私たちが幸せに気づけるかどうかって、「自分の視野」も関係しています。誰でも生活が困窮していたり余裕が無いと、目の前のことに必死で全体を見渡す余裕なんて持てません。これは能力とか全く関係ないです。
視野が狭くなると選択肢も少なくなり、今の状態から抜け出すための方法も見つけにくく、諦めや怒りが起こりやすくなる。この悪循環から抜け出すには視野を拡げるといい。視野を拡げる方法のひとつが相談です。
■他人の幸せすら自分には全く関係ないのに、憎しみに変えられる■
私自身、生活が困窮していた時怒りに満ち溢れていたのを覚えています。自分ばっかり損していると思っていましたし、他人の幸せすら自分には全く関係ないのに、憎しみに変えられるくらいの力があります。
こうなると誰かが自分の意見を伝えてくれた“だけ”でも、批判されたと感じたり、上司に間違いを指摘された“だけ”で上司を恨んだり、自分自身も傷ついたり、その他、上手くいかないことばかりを集めて怒りを増幅させていく自分がいました。
私は攻撃的だったので怒りに満ち溢れましたが、自虐的な人なら諦めやすくなり不安に押し潰れることになるでしょう。
どちらにしても自分にとってプラスなことって無いのです。周りの人はこういう人を避けていきます。巻き込まれたくありませんから。人間関係もうまくいかなくなり、更に怒りや不安に満ちていきます。
■面白いくらい怒りが収まっていきました■
私がどうやってこの状況から抜け出せたのか?
私は攻撃的で他人の話しを素直に聞くことができなかったので、相談ができませんでした。これが生活安定を遠回しにしたことだと今ならわかります。とは言え気づけたのは誰かのちょっとした言葉です。「周りをみてごらん、いろんな人がいるよ」「子どもが5人いて全員健康って幸せだね」など、言葉を掛けてもらっていたけれど、最初は「はぁ!そんな当たり前のことじゃない」とか思っていたのが、色んな人が色々と声を掛け続けてくれたので、有る時「あれ?原因を外に探しているのか私は。もしかして自分の中に原因があるのかもしれない」と思えるようになり、自分の感情と向き合ってみることにしたんです。
私の中にあるコンプレックスや決めつけなどに徐々に気づくことができ、面白いくらい怒りが収まっていきました。それがとても楽で楽でびっくり。そうなると少し精神的に余裕がでてきて自分以外の人の立場を理解することが出来るようになったり、自分とは違う意見があり、それは決して自分を否定していることではないことも理解できるようになりました。
そこからはストレスゼロ。起こった事柄は冷静に解決策を考える“だけ”。分からないことは分かる人に聞く。出来ないことは出来る人に頼む。自分が出来ることを増やすなど、やることも明確になります。
ここ15年くらいの付き合いの方は、私は怒らない人と思っているかもしれない。もっと古い付き合いの人からは「人って変われるんだね」と笑われます。
怒りや不安を作るのは自分の視野の狭さであり、その考えが自分を苦しめている一番の原因だったんです。自分を変えるのは自分次第で、他人が絡まないことは実現可能性が自分次第です。
生活困窮している時の気持ちに寄り添うことって、怒りや不安がどうして起こっているのかに寄り添うことだと自分の経験からも感じています。感情に寄り添うと言うより、その感情が生まれた背景に寄り添うイメージです。
間もなくひとり親コンシェルジュ講座が開始されます。本質的な解決ができる支援者が増えていきます。