私は母子家庭で育ちました

久々に暖房が必要なリモートワークの日。



メルマガとブログを書くことから一日が始まります。お供にはいつもコーヒー。今日みたいに寒い日は、味を楽しむことと、手を温める役目もある。

私は母子家庭で育ちました。
子どもの頃の記憶をたどると、寂しかったという記憶はあまりなく、妹を守らなきゃ、母親の役に立たなきゃ、と思っていた記憶しかない。

なぜそう思ってきたのかは定かではないが、長女だからという理由だけかもしれない。大げさな理由などなく、ずっとそう思っていた。

子どもの想いって、そんなものじゃないかなと思う。

私の母親は自分が経済的に苦労なく育ったこともあり、子どもたちに経済的苦労をさせてはいけないとの想いが強い人だった。児童扶養手当は1961年から始まっているので、制度はあったと思うが、母親が手当に頼っていた記憶は一切ない。

夜の仕事をするために、夜の間私たちが困らないように、友達の家の隣に引越しをして働ける環境を作った。一緒にいることより、経済的に苦労させないことを選んだのだろう。

私はそんな母親に育てられているからか、離婚した時は同じように働く環境を作ることに注力できた。とはいえ手当もあり、保育料も医療費も無料なので、差し迫ってひどい貧乏になることはなかった。正直、結婚している時の方がお金には苦労した。入ってくるお金が少なくても、その範囲で生活を作ってしまえば困ることはないが、結婚している相手が浪費だと、お金はいくらあっても足りない。足りないどころか、借金まで増えてしまう。

二度目の離婚時は、私名義の借金もできてしまっていたので貧乏になった。

それでも、足りなければ収入を上げたり、支出を下げる生活をしていれば、そこまで困ることはない。一般的よりは少し低い生活水準だとしても、それが自分の範囲なので受け入れて改善していくしかない。

生活水準を上げたければ収入の上がる働き方をすればいい、そのままでも幸福度をあげることはできる。どちらを選択するかは自分次第でいい。

時代がよくなっているからか、母より私の方が苦労は少ない気がする。また私より娘たちの方が苦労は少ない気がする。

母が最初に努力してくれたことが、こうやって受け継がれていき、私も娘たちも恩恵を受けているのだろう。今更ですが感謝してもしきれません。ありがとう。