「4630万返金しない事件」を考えてみた
4630万円を返さない人の気持ちを想像してみる。
■生活困窮時に陥りやすい思考を考えることは、偏見ではなく必要な理解■
生活困窮者の支援の中に、生活困窮すると、人はどのような思考になるのか?が考えられていない気がずっとしています。
私は生活困窮を経験しているので、あの時の自分は攻撃的で、妬み嫉みに覆われていて、他責でした。自分が不幸なのは、自分ではない誰かのせいだと思うしか、気持ちを保つことができなかった。それが、元夫や国や会社とか、意味不明に誰かだと思いたい。
前から言っていますが、これは、追い込まれたら総理大臣だって会社の社長だって、セレブ主婦だって、同じだと思います。逆に、追い込まれている状況から、少しずつ自立することで、視野が広がり、自分の内面を考える余裕が生れ、冷静に未来を構築することを考えられるようになる。
生活困窮の時に陥りやすい思考を考えることは、決して偏見ではなく、自立支援に必要な分析です。理解なんです。
■4630万返金しない事件■
なんて常に思っている時に起きた「4630万返金しない事件」
これは良いタイミングではないかなと。もちろん多くの人は返金すると思いますが、追い込まれ度、他責感や絶望感によっては、「のちのち刑務所に入るとしても、今豪遊できるなら、こんなチャンスは二度とない」くらい思ってしまうこともあるだろうと。
このまま今の人生を送るのと、のちのち刑務所に入るが、今豪遊できる人生を比較すると、後者の方がいい人生?と思うこともできるだろうと。
こう想像すると、「罪は償います」と早い段階で言ったことに辻褄が合うような気がしました。
戦争孤児が泥棒をしたりと事件を起こした過去が多くありました。それは「仕方ない」と思える人が多いかもしれません。しかし今の時代は、働けばどうにかなるだろう、とか思われてしまいますが、生活困窮を経験すると分かりますが、視野は驚くほど狭くなり、方法はなかなか見つかりません。
物がどれだけ多くあっても、視界に入らなければ無いのと同じです。
■執着してしまう自分は容易に想像できます■
私たちには希望というあいまいな言葉がとても重要です。今の支援は今に注力し過ぎていて未来が見えません。未来が見えないと支援を受け続けるしかなく、支援を受けることに依存していきます。その状態は絶望感とも言えますし、希望はありません。
そんな状態の時に大金が入ったら・・・
私も返さなかったかもしれない?
子どもの未来を考えると、それはできなかったでしょうが、脳裏に持って逃げる、このお金が本当に自分の物だったら?とか考えると、他にお金の稼ぎ方が分からないから、執着してしまう自分は容易に想像できます。
起こった事件により、罰則を厳しくするより、このような思考になぜ人はなるのか?を、考える機会にして欲しいなと思います。
協会設立して直ぐに、親の年金と自分のパート代を合わせて細々と生活しているシングルマザーを何人も目の当たりにし、「親が死んでも報告しない人たちって、悪い人ではなく、未来を考えることができなかった人たちなんだ」と思うようになりました。
もっと手前で、希望を与えること。希望を感じてもらえること。それが幸せに繋がる支援だと感じています。