こんなことが起きるとは・・・
悲しいです。
■他責な人、ということに課題感を・・・■
安部元総理の昨日の事件、ショックでした。
誰かを恨んで、命を奪おうとまで思うほどの、他責な人がいることに課題感を持っています。
常日頃から他責な人、ということに課題感を持っており、自立の必要性をもっと多くの人に知ってもらいたいと願うひとつの理由です。
ここ数年で起きている事件を見ていくと、他責な考えは全て犯人に当てはまります。
「自分は正しい、悪いのは〇〇だ」
「自分は不幸だ、誰よりも不幸だから誰かを不幸にしてもいいんだ」
という感情が大きく振れた時に、事件が起きている気がしています。
その中で善良な人が被害に合う。
児童虐待も然り、通り魔的な事件も、正義を振りかざす事件もみなそう。
何となく社会の雰囲気に、何かあると悪者を作り出し、悪者は叩いてもいい、みたいなものがあります。今回もSPの人を悪者としだす空気も既に流れています。
皆が、というより報道ですが、実は多くの人はそんなこと思っていませんが、マスコミによって他責な人が共感をしてしまい、さらにその感情を大きく振れさせてしまう要因になっているのではないでしょうか?
原因を究明することと、誰か悪者を作り出すことは全く違うこと。
常にこの違いが理解されていない。
■今の福祉って自立ではなく、囲い込んでしまう仕組みになっている■
私自身がシングルマザー支援をする中で、また、自分自身が生活困窮だった時を思い出しても、弱者の時って出口が見えず、それでも私たちは原因が知りたくて、自分的には追い込まれた感覚の中で誰かのせいにしないとやってられないこともある。そのまま改善策が見えないと、更に追い込まれ、その中のほんの一部の人が、このような事件を起こしてしまう。
今の福祉って自立ではなく、囲い込んでしまう仕組みになっているなと私は感じています。囲い込まれてしまうということは、ずっと闇の中に放置されているのと同じ。希望はいつまで経っても見えない。他責になりやすい環境にずっと置かれることになる。
それがどれだけ苦しくて辛いか。囲い込んでいれば安心と思っている人には理解されないかもしれない。
本当に苦しくて辛いんです。
こんな事件を起こす人は氷山の一角です。全然次元は違います。人に危害を与えるほどに他人を責めるようになる前に、多くの人が自分を責め続けてしまうからです。
個人的意見ですが、私が自立支援の必要性を伝え続けているのは、生活の安定を目指す人を全力で応援したいと思う理由は、他責に傾きかける気持ちが理解できるからであり、その先の辛さ、虚しさ、出口の見えなさを感じている人を減らしたいと思っているからです。
事件の大きさから考えると、同等に考えることではないですが、本質的なところは繋がります。もっともっと、自立支援の成功例を増やしていこう、そう感じました。
安部元総理のご冥福をお祈りします。