今日も徒然

 

この数か月、生きるとか死ぬとかを考えることが増えた。
小さな子どもたちの悲しいニュースに触れた時、会ったこともない子どもでも、これほど悲しみを感じる私たち。

また、コロナ禍が長引き、精神的に不安定な人が増えているのを相談内容から感じので、生きる意味って何だろう?と。

死なないために生きる?
それって生きているということなのか?

娘が飼っているハムスターが死んだ。
これはこれで考えた。

コロナ禍で平均寿命を超えた高齢者のために、若い人の今を取り上げること。100%と語れることは少ないが、人が死ぬのは長い短い関係なく100%です。

それを恐れながら生きるのって?
産まれた瞬間から死に向かって生きているのだから、やはりどう生き切るか?の方が大事ではないか?

そう考えると、長いことが本当にいいのか?

など、もう頭の中でグルグル、グルグル考えていた中で、父の入院があった。「あと2,3年は生きれそうだよ」とICUで話す父を見て、しかもコロナで会えないので、かなり久々に会えたのがICUという現実で、本当に何が正しのかわからないなと。

8月末には8番目のお孫ちゃんが産まれた。
実は昨年我が家は死産を経験した。私もこれだけ家族がたくさんいるが、初めての経験でかなりショックだった。

本当、考えたら切りがないが、考えるしかないのが私たち人間のサガ?

私の個人的な結論は、もっと頑張って働こう!になるのですが・・・
それが私の生きている証拠、ということになるようです。

自分がどう自分らしく生きるか?を考え続けることが、生きているということなのかもしれない。