今まで以上に一日一日を濃く生きる

さて、本日は会員さんがデモンストレーション初日ということで、OJTのため店頭販売してきます!



9月16日の早朝、父が亡くなりました。多くの温かいコメントを頂き感謝しております。ありがとうございます。

母が71歳、父が78歳と、多少短い人生の幕を引きましたが、私から見ると、「ちょうどいい」のかなと感じています。

母が亡くなる時に、「まだ70歳だよ、ちゃんと手術して治そう」と家族が伝えても、「とは言ってももう70よ、充分好きなことしてきたからいいの。治療する方が嫌だ」と言い切り、10ヵ月の闘病のみで潔く亡くなりました。

その時に母は父に、「あんたも子どもたちに迷惑かけずに早く死ぬのよ」と言っていたので、今頃天国で、「約束を守ったね」と褒められているのかなと思うと、「良かったね」と思えます。

母が亡くなった翌年に大腸がんが見つかり大手術。その時に伊豆にいると遠すぎるので神奈川に来てもらいました。とにかくアクティブな人なので、ずっと元気に働き続けていましたが、一度脳梗塞で倒れ1ヶ月間入院しましたが何事も無かったように社会復帰をしました。しかし、その2年後くらいにまた倒れ、この時は右半身麻痺となり、半年の病院生活を経て、昨年より介護施設に入所していました。

コロナ禍ということもあり、この後は会うことも間々ならず、この間に産まれたひ孫2人には会ったこともありません。

コロナ禍で、死を恐れすぎる、ということで、生きている今を無駄にしている、ということが本当に良いことなのだろうか?とずっと自問自答していました。人は必ず死ぬのに、そこが言ってしまえば人生のゴールなのに、それを怖がっているだけで生きている今を無駄にして本当にいいのだろうか?と。

我が家はいたって普通の家族です。その中で各々が自立していることが唯一の自慢です。若い時に多少は家族に迷惑を掛けることがあったとしても、年齢と共に自分の中で納まる生活を個々が創っていき、自立している同士が共に生きています。依存が家族間にも無いことは、一緒に過ごす中でも自由が守られている。その上で助け合うことができます。

私は自分の体験からも、多くの人の相談に乗っている立場からも、誰かに依存しないといけない立場から脱却することが、自分らしくいられることだと考えています。

とはいえ、考え方は人それぞれなので、そうでない方もいますが、現実は依存するしかない状況に苦しんでいる人が多いです。

今回私は、コロナ禍ということで、父が大好きな孫やひ孫たちに囲まれて食事をする機会を後回しにしていました。それだけはちょっと後悔です。強行突破すべきだったなと。

と言っても後悔しても何も始まらないので、これは親から学んだ教訓とすることにします。

そして今思うこと。
今まで以上に一日一日を濃く生きる。

葬儀が21日に終わると、少し悲しいなと思うかもしれませんが、まだ家族には実感はありません。みな自由に今日も生きてます。