依存して生きることを選択した人たち

5歳児餓死事件、ママ友に支配された母親。
この事件、もっと考えていかなければいけないことだと思います。



私が一番気になるのは、「結果、犠牲者は子ども」である。ということ。そう考えると、依存させた方も、依存してしまう方にも、子ども視点から見ると罪はあると私は考えます。

裁判って、悪い人はだれか、を決めることに意識が行き過ぎているように私には見えますが、そこよりも、何故起こったのか?という過程を解明して、子どもが犠牲になることを極限まで減らしていくことではないかと。

私は弱者という言葉は好きではないですが、この言葉を使っていいのは子どもだけではないかなと。大人はどんな状況であれ自己責任です。男も女も関係ない、しっかりと自立して、未来を見据えて考えて行動していけばいい。大人の依存は「依存しなきゃ生きていけない」のではなく、「依存して生きることを選択した」です。

しかし子どもは必然的に誰かに依存するしか生きていけません。依存するしか生きて行けない人を弱者と呼び、それ以外の人が守っていくことを、もっとみんなで考えていく必要があると感じた事件でした。

今回はママ友であり、女性同士の依存です。支配したいと考える人、モラハラ夫やパワハラ上司と同じです。また依存していくことを選択してしまう人がいる。この組み合わせができると、子どもが犠牲になりやすいのかもしれません。

私はこのことを、自己肯定感の低い「攻撃型」と「自虐型」の組み合わせと定義しています。根本は同士、同じです。

自己肯定感が高い人は、依存することもされることもなく、あまりこのような事に巻き込まれません。

この仮説から見て、協会では親の自己肯定感を育てることを重要だと考えています。それで始めたのが「愛されるコミュニケーション講座」です。

事件は氷山の一角であり、誰にでも見える事実ですが、もっと根本的なことに意識を持っていく人が増えない限り、子どもの犠牲は無くならないのではないでしょうか?