「うちにはお母さんがいないと思いなさい」と言われて育った
リモートワーク中、家に営業の方が来た。ドアを開けたら印象の良い女性がスーッと名刺をくれた。「あ、取引のある企業さんだ。あれ、見たことある名前・・・」と思って顔を見上げたら、「江成さんですか?」と。
なんと、就職支援した方だった。「いや、すごい!頑張ってる!嬉しい!」とよくわからない感動が私を襲った。
またひとつ、感動をもらいました。ありがとう。頑張っている人は最高だ!!!
今日は少し、偉そうなことをビクビクしながら言ってみようかと。
10年前に、ひとり親支援をしようと思った。何故なら、自分自身がシングルマザーに育てられた経験があり、そしてその時は自分自身もシングルマザーだった。
私の母親もよく働く人だった。「うちにはお母さんがいないと思いなさい」と言われて育った。私は働く母を見ながら、妹の面倒をみようと思った。が、よくいじめていた。
母が「お母さんがいないと思いなさい」と言った意味は、働く人しかいない、という意味だったと思う。母の離婚の原因は、父が働かず経済的に苦労したことだった。その経験をした母は、子どもの側にいることより、働くことを選んだ。働くことを選んだ母は、働ける環境作りに頭を使った。専業主婦の友達の側に引越し、お金を払って夕方子どもを見ていてと頼んでいたのだとか。確かに、近所の友達の家によく居た記憶はかすかにある。
家に居たいという想いはあったようで、私が中学生の頃に自宅で商売をはじめた。しかし、それほど商売は楽ではない。ちょうど私たちが大人になってきたので、その後は一瞬貧困に陥りそうになったが、なんと父との再婚があり、老後貧困は免れた。
このことで私が感じたのは、母親の方が頑張っていたのに、社会は男性の方が有利にできているんだな、と。
そして私の代になり、両親が離婚経験者ということもあり、私も同じように離婚をする。しかも子どもが多い。ただ時代は母がひとりで子育てをしていた時期よりも、社会が子育てを担ってくれるようになっていた。まだ働く時間に制限はあるが、働くことはいくらでもできる。
いくらでもできる・・・。今はいくらでもできないですね。
朝から晩まで働いていたら、ふと気づいた。「あ、このままだと死ぬ」って。それはいけないと思い、自分の能力を付ける、活かす、売り込む、などが必要と感じた。その頃に営業職を知った。
「すごい仕事だ!」と思って、珍しいと言われたが、自分から保険会社に行った。これが、自分で選択した一番良かった最初のことだと、今は思う。
母のお陰で、お金を稼ぐ、生活を安定させることの重要性は知っている。間違っても、「子どもが可哀そう」なんてことを言う母では無かった。大人になって言われたのは、「お金で助けてあげることはできないけど、働く時間を作ることは助けられる」と言われた。母は商売をしていたので、長女はいつも実家にいた。
母から教わったことのひとつに、「子どもがいるから頑張れる」ということもある。そばにいたい、ではなく、子どもがいるから、こどものために必死に働けるのだと。
こういう生育歴があり、10年前にシングルマザー支援で起業しようと思った私は、この業界を調べた。その時に感じたこと
・行政からお金をもらって運営しているところが多い。
・団体の代表は、名誉職だったり、本を書いたり、講演をしたりと利益を得ることができるが、シングルマザーが利益を得られていない。
この2つを知った。そして行政に行ってみたが、既に少ない予算は配られるところが決まっていて、新たに入る市場はないと知った。しかしこの頃、ホームページを見たシングルマザーの方からの相談と、企業からの問合せの内容を知ることができ、これは双方にプラスになる、新たなサービスを構築すればいいのではないか?と。
長くなったので、協会のこれまでに関しては、明日続きを書きます。