孤独にさせない、家族だけで孤立させない、もっと多くの人の目が行き届くように
昨夜は、いよいよ寝る時にエアコンを使ってしまった。エアコンが贅沢という感覚は、昭和っぽいのかもしれない。娘たちは、平然と使う。
子どもの虐待事件が相次いでいる。
ニュース記事を見ることもできないくらい、辛い。
人間もただの動物なので、きっとゼロにすることは難しいのだろう。
絶対にしてはいけない、だからやるな!と言い続けているだけではなく、そういう行動を取る人が一定数いることを理解した上で、未然に防ぐ仕組みを作ることしかないだろう。
今もその仕組みはあるだろうが、家庭に踏み込めないという法律の中で、機能として万全ではない。逆に、そこまでの問題でもない親たちが傷つけられているという現実もある。
孤独にさせない、家庭も家族だけに孤立させない。もっと多くの人の目が行き届くようにしなければいけない。
以前、言うことを聞かないので、お尻を叩いたら子どもが泣いてしまい、児相がきて子どもを連れていくと言われて、どうしてよいかわからないと泣きながら電話がきたことがあった。
お尻を叩くことも暴力のはじまり、と考えれば、母親を注意することは必要かもしれない。
一方で、孤独の中で子育てに悩んでいる母親に対して、「こどもを連れて行くぞ」とだけ言い放つのは、母親を更に孤独に追い込むことになる。
悪循環だ。
自分の心に余裕が無ければ、人に優しくはできない。たとえ親でも同じ。しかも親の場合は同時に罪悪感が強く、更に自分を責めてしまう。
福井県では、小学校でも保育園のように、学校での出来事を知らせる手帳があると聞いた。些細なことでも、「今日こんなことがあったので、褒めてあげてください」など、先生から親へとお知らせがあるらしい。また、目上の人を敬うという習慣が根付いていて、ゼロではないが、モンスターペアレントも少ないと。いろんな人の目が、こどもたちを守っているのかもしれない。
こどもを守るために、大人たちが、自分自分ではなく、先ずは与えるという気持ちを持って、周りの人たちを大切にすること。皆で皆を大切にすれば、皆がこどもを大切にするような気がする。
こどもが公園で大声で騒いでいる。楽しそうに走りまわっている。
この光景を見て、楽しい気持ちになる人間でいたい。