それで幸福度は高まるのだろうか?

埼玉県のお留守番虐待のニュースを見て、きっと、これを決めた人の中に、家庭の実情が見えている人はいないんだろうなと、また、成育環境で必要なことを知っている人もいないんだろうなと感じました。



政治と実際の家庭の実情の、溝がどんどん深まっているように感じます。まるで離婚直前の夫婦のよう。
特に福祉は、「守る」が強すぎて、危険はないかもしれないが、やる気も削がれ、挑戦もできなくなっていく。

車の運転に例えると、過失への意識を高め(教育)、安全運転を皆ができるようになることは重要だが、過失ではなく1%しか起こらないことのリスクを、50%くらいの確率と捉え、「車に乗るのはやめましょう」と言っているのと変わらない。

ちょっとした買い物や、仕事の都合でのお留守番は必要であり、これはこどもたちの成長にとってもプラスに働く。また公園でこどもだけを遊ばせることも虐待になるらしいが、親(きっとこのしわ寄せは母親)は働かず、家事もやらずに、ずっとこどもの側にいなきゃいけないのだろうか?又は、親が行けないから、こどもはずっと部屋にこもっていないきゃいけないのだろうか?

シルバー人材に公園当番という仕事を増やしたり、学童を6年生まで、誰でも入れるように充実させたり、ベビーシッターを使いやすくしたり、親に対してコミュニケーションの教育を施すなど、別の方法を考えることは出来なかったのだろうか?

埼玉県だけで終わればいいけれど、家庭の実情を知らない、決める人たちが、「これは良い」と広げてしまうと、女性の就労に新たな壁が作られ、高齢貧困女性を増加させ、「母親の責任」が増えメンタル不全の女性が増え、その環境で育つこどもが増えていくなど、負の影響の方が多いようにしか、私には感じなかった。

ニュースは、悲しいこと、非常識な人が起こした事件などしかない。上手に子どもと関係を作って、上手に子どもを成長させ、上手に仕事と家庭を両立している人の話はでてこない。

しかし現実は、後者の人の方が多い。ニュースだけを見ていると、このバランスが崩れて見えてしまう。この見え方によって、重要な事実が見えなくなり、特に福祉支援は事実とズレた施策を作られやすい。

生きていればリスクはゼロには出来ない。リスクをゼロにするために、何もしない、ただ生きてるだけ、にさせられてしまう。それで幸福度は高まるのだろうか?

リスクを回避できる力を付ける教育を強化することの方が、大事ではないかと、考えるきっかけになりました。