こどもに笑顔のお母さんを印象付けられなかった、人生最大の後悔

すべての母が、納得して選んだ“今とこれから”を、自分の力で暮らしに変えていける社会をつくる。



先日取材を受けた時に、母親のマインドがめちゃ大事で、母親がどう接するかで、こどもの人生も大きく変わるというような、いつも話していることを話していたんですが、その時に記者の方に「江成さんはそうやって子育てしてきたんですか?」と聞かれて、間髪入れずに答えました。

「できませんでした!」と。

今でいう、貧困でワンオペ(どちらの言葉もまだほぼ使われていなかった・・・)で、余裕なんて1ミリも無いどころか、マイナスでしたし、日々に追われ過ぎて将来を考えることもできなかったし、今私が皆さんにお伝えしていることの真逆の状態でした。

私の場合は、途中で気づいたんです。そこが救いだったなと今でも鳥肌が立ちます。あの時に気付かなかったら・・・と考えると恐怖で震えます。

何に気付いたか?最初は「こどもの環境が悪い」ということでした。次に「私が死ぬ」ということでした。

余裕が無いと怒りが増えます。これはタイプによると思います自分に向ける自虐型か、他人に向ける攻撃型か。私は攻撃型です。周りに当たり散らしていました。こどもにも毎日当たり散らしていました。長女の記憶は怒っているお母さんのようです。私にとって最も悲しくて辛い過去です。こどもに笑顔のお母さんを印象付けられなかったことは、人生の最大の後悔です。

人間関係も微妙でした。「江成ちゃんが良ければそれでいいんじゃない」、この言葉今でも忘れられない。きっと私が相当意固地だったんでしょうね。この言葉に潜む本音は「あなたに言っても聞かないから言っても仕方ない」なのでしょう。今は理解できます。

また、追われながらも稼がなきゃと思っていたので、寝ずに昼も夜も働いていました。この経験が、今の頑張り方は間違っているんだと体で理解したんです。もっと働き方を考えなきゃいけないと。

次に私が自分にしたことはマインドチェンジでした。自分の考え方を変えなければ、行動も人生も変わらない。私が変わらなければ、こどもたちの環境も変わらないと。もう必死でした。自分と向き合わなきゃと、屈辱的な現実を受け入れるために必死でした。

この経験、今だから思う事ですが、屈辱的ではありましたが、数か月でできたし、受け入れたら、びっくりするくらい楽になって、「今までの苦労なんだったの?結局私次第だったんだ」と思い知りました。いやいや本当にびっくりでした。

そこからは仕事も順調で、死ぬほど働いていないのに収入は上がり、私の笑顔が増えたからか、こどもたちの笑顔も増えて、良い仲間にも恵まれるようになり、数年後に日本シングルマザー支援協会を立ち上げました。

似たような経験を副代表の山木さんもしている。だから私たちは、私たちでもできたことは、ほとんどの人に通用する手法だと思っています。それが今の日本シングルマザー支援協会なんです。