自立できる人まで、自立できなくなる社会

最近、不安に感じることがあります。
日本人全体として、依存的な傾向が強くなっているのではないか、と。
誤解しないでいただきたいのは、私は「自己責任論」を語りたいわけではないです。むしろその逆で、シングルマザーの当事者として、そして支援に関わる立場として、「本当に困っている人が支えられること」の大切さは、誰よりもわかっているつもりです。
それでも、今の社会の仕組みに対して、ある種の違和感が拭えないのです。
■「ほとんどの人が豊かで、少数の困った人を助ける」という前提■
戦後の日本でつくられた社会保障の仕組みは、ざっくり言えば「ほとんどの人が豊かで、一部の困った人を、みんなで支える」という設計思想で成り立っています。
その代表が、年金制度です。
かつては高齢者一人を、現役世代の何人もで支える「胴上げ型」と呼ばれていました。それが今では「騎馬戦型」になり、近い将来には「肩車型」になると言われています。現役世代2.5人で高齢者一人を支える──これはもう、制度設計として無理と言わざるを得ません。
でも私が今日お伝えしたいのは、年金の話ではありません。
この「少数の困った人を支える」という前提そのものが、今の日本社会にフィットしなくなっているのではないか、という問いです。
■支援の現場で感じる「もうひとつの問題」■
シングルマザー支援に長く携わってきて、私はあることに気づきました。
それは、今の仕組みのままだと、本来は自立できる人まで、自立できなくなっているのではないか、という危惧です。
「支援」という言葉は美しい。でも、支援が「依存」に変わってしまった瞬間、それはその人の人生から、自分で立ち上がる力を奪ってしまうことがあります。
もちろん、本当に支えが必要な時期はあります。離婚直後、心も体も追い詰められているとき、子どもがまだ小さく働きに出られないとき。そんなときに手を差し伸べてくれる仕組みは絶対に必要です。
問題は、その「一時的な支え」が、いつの間にか「人生の前提」になってしまうことです。
■「支えられるだけの人生」の先にあるもの■
支えられて生きること自体が悪いわけではありません。その先に幸福感があるのなら、それも一つの人生のかたちでしょう。
でも、私が現場で見てきた多くの方々は、そうではありませんでした。
年齢が上がれば上がるほど、
- 焦りが募り、
- 絶望を抱え、
- そして、社会や周囲への怒りを持っている
そんな方が、本当に多いのです。
私は、人間には「自分で人生を切り拓いている」という感覚──これが幸福感の根っこにあると思っています。誰かに支えられるだけで生きることが続くと、その実感がどんどん削られていく。気がつけば、「私の人生は私のものではない」と感じてしまうのです。
■私たちが目指したいのは「自立支援」■
だからこそ、私たち日本シングルマザー支援協会が大切にしているのは、「与える支援」ではなく「自立を引き出す支援」です。
就労支援、スキルアップ、企業との橋渡し──これらはすべて、「あなた自身の足で立てるようにする」ための仕組みです。
シングルマザーは、決して「弱い存在」ではないです。子どもを抱えながら、毎日必死に生きている強い人たちです。その強さを、社会のなかで発揮できる場所さえあれば、ちゃんと自立していけます。
「シングルマザーが人生を変えていく場所」──私たちが掲げているこの言葉には、そんな想いが込められています。
■最後に■
依存からは、本当の幸福は生まれません。
支えられることが必要な時期はある。でも、その先には、自分の足で歩く未来があってほしい。歩けるようになった人が、今度は誰かを支える側に回る。そんな循環をつくっていくことが、これからの社会保障のあるべき姿ではないでしょうか。
少し元気なシングルマザーが、まだ元気になりきれていないシングルマザーの手を引こう
私は、そう信じて、今日もこの活動を続けています。
シングルマザーが人生を取り戻す場所 | 日本シングルマザー支援協会
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