離島から神奈川県へ:シングルマザーインタビュー

なおちゃんプロフィール

40代 子ども:小学生1人 パートから正社員 神奈川県在住 

Q. 協会に相談した時の状況を教えてもらえる?

なおちゃん
「離婚してから2年が経ち、私はパートをしていました。実家の援助は受けられず、娘と2人で暮らしていました。パートの収入では手取りでせいぜい10万円。車がないと困る土地で生活しているため、固定費がとても重荷でした。

当時、娘は年少で「ここからお金がかかってくるのにどうしよう」と生活費の見直しに取り組み、一生懸命やってみましたが、どうやっても足りないことに気づき、ものすごくに不安になりました。

ただ1つだけ、

「娘が何かやりたいと言った時、お金の問題で叶えてあげられないのは絶対嫌だ」

という強い思いが胸の中にありました。けれども、田舎で相談できる場所もなく、生活保護を勧められ、

「私は自分には働けるのに・・・」

とモヤモヤした気持ちになり、必死にインターネットで情報を探しました。

その中で、日本シングルマザー支援協会という名前が何度か目に入りましたが正直なところ、信用できるかどうか疑問で、とても怖くなりました。

Q. 相談の1歩はどうやって自分の中で進んだの?

なおちゃん
福岡のシェアハウスでシングルマザーへの理解がある場所をインターネットで見つけました。私は九州に住んでいたので福岡までなら行けるかなと。

電話しようと思いましたが、代表の方が男性だったので不安になって、電話するまでに2週間かかりました。やっとの思いで電話をかけてお話を聞いてもらったら「あなたに合う場所があるよ」と言ってくれて、日本シングルマザー支援協会の江成さんを紹介してくれました。

正直に言って、「また日本シングルマザー支援協会に辿り着いてしまった」という感じでした(笑)

Q. 「シングルマザー」「移住」のイメージ

シングルマザーの移住

協会では、地方の自治体と組んで移住ツアーを行っています。
実際に移住をされている方、逆に地方から都心に移住する方もいます。

なおちゃん
「シングルマザー」という言葉にはすごく嫌悪感がありました。日本シングルマザー支援協会についても、「日本」で「シングルマザー」で「支援する協会」怪しいしかない、宗教的な感じもして嫌でした(笑)

でも、福岡のシェアハウスの代表の方が、すぐに江成さんと繋いでくれました。江成さんから私に電話があり、相談に乗ってもらうことができました。

私が住んでいたのは九州の中でも離島で電車もコンビニもない世界。もし若い頃の私だったら、まだなんとかなったかもしれません。けれど、私はもう40歳目前で「売り飛ばされる」という恐怖感がありました。小さな子供を抱えて、家もなく、保証人もいませんでした。私の頭には水商売しかないというイメージ。泣きながら働かなければと思っていました(笑)

けれど、そんな中でお仕事も紹介してもらい、最初の相談から約半年後には神奈川県にいました。初めは売り飛ばされると思っていましたが、そうではありませんでした(笑)

Q.就職した時の気持ちはどう?

なおちゃん
怖かったけれど、山木さんが「ダメならまた一緒に考る」と言ってくれました。就職までの半年間でたくさんの面談を行い、自分のダメなところも見せました。けれど、山木さんは一度も怒らなかった。私は怒られると思っていたのですが、出来なくても上手くいかなくても、山木さんは「じゃあどうしよう」と問題を分析し、私がわかりやすいように教えてくれて寄り添ってくれた。厳しいけれど温かかったです。

私は「やってみよう」と思えたし、もしダメでも「きっと大丈夫なんだ」と信じられました。

Q.何年経った?生活はどう変わった?

なおちゃん
約4年経ちました。今では、娘がやりたいことを実現させるための経済的な余裕ができましたし、寒くなく安心して帰れる家に住むことができています

山木さんや江成さんたちとは、頻繁に会ったり連絡とるわけではないけれど安心感がずっと包んでくれています。

当時は、山木さんに何度も泣きながら電話をしました。40歳を過ぎて「こんなに泣くのか」というくらい泣きました。それでも頑張って良かったと心から思っています。

プレッシャーゾーン

まさにそれは協会で言っているプレッシャーゾーン。大きなプレッシャーゾーンを乗り越えたのかな?

Q.つらかったことはあった?

なおちゃん
山ほどありました。声が裏返るくらい山ほどあった(笑)

移住が決まるまでは震える怖さでした。

Q.なぜ不安を膨らませても動こうと思えたの?

原動力

離島にいるときの不安以上の不安をわざわざ得て動く。
多くの人が、今も不安だけど一旦「もっと大きな不安に入る」これを嫌がって動かない選択する人が多い。なおちゃんはなぜ不安を膨らませても動こうと思えたのでしょうか?

なおちゃん
娘がいるから。
娘は本当にキラキラしたものを持っていて、とても素敵な人なんです。
その娘の生きていく道を邪魔したくない。

そのためには、娘が自立して生活ができるようになるまでは、私が自立してひとりで育てる。離婚したのも1人になったのも私の都合。ずっと何年も何年も娘に背負わせてはいけないと思いました。

Q.悩んでいる人にメッセージ

MES就職プログラム

娘さんのために思いきりプレッシャーゾーンに入って乗り越えた今だから伝えられるメッセージ。
これからMES就職プログラムを活用していく人、今まだ悩んでいる人にアドバイスやコメントをお願いします

なおちゃん
私は39歳の時に山木さんに相談を始めました。当時は自分には何もできないと思っていました。シングルマザーが世帯主になるなんて、ありえないと思っていたのです。けれど、協会のメルマガの言葉に衝撃を受けました。

「シングルマザーは世帯主」

その言葉をずっと胸に抱き、大切に思ってきました。

つらい時もありましたが、「世帯主でお金を稼ぐから。夕食はお弁当買っちゃえ!外食しちゃえ!」と自分を許しながら、少しずつ4年間をかけて自立の道を歩いてきました。今では当時の給料の4倍の年収を得ています。こんな未来は考えてもいませんでしたし、自分がこれだけ成長できるとは想像もしていませんでした。

山木さんや江成さんは私にとって別世界の人たちで、しっかりお金を稼ぐのは私には無理だと思っていました。けれど、今はこうして(変な眼鏡かけているけれど)顔を出せるほど精神的にも成長しました。自分を認めることができるようになりました。

私も泣いてしまうことがありましたが、支援協会の方々は決して怒ったり見捨てたりしませんでした。私たちが頑張っていることを理解してくれます。子供のために、私はずっと頑張ってきました。そして今、自分だけの未来も想像することができるようになりました。

だから、どんなことがあっても、本当に頑張ってください。プレッシャーゾーンを乗り越えてほしい。本当に大丈夫。本当に頑張ってほしい。シングルマザーの皆さん頑張ってください。頑張って!頑張って!