【「できない」を「できる」へ変えた!会員さん紹介シリーズ No42】
年間100名を超えるシングルマザーが自立しています。その中のほんの数名の方ですが、皆さんの道しるべになると思います。共感できる方の真似をしてみてください。
本日ご紹介する会員さんは、滋賀県在住の村井さんです。
最初に協会に相談に来られた時は、早朝の工場でのアルバイトと日中の派遣の仕事をされていました。
年齢も50歳を超えていたので、ここからの自立は大変な人かもしれないと感じました。
しかし本人の意欲は高く、キャリア個別へ。
山木さんが専門家として深ぼっていくと、とても能力も高く、経験も豊富な人であるが、今まで選択してきた雇用形態によって、活かすことができなかった“だけ”の方だと分かりました。
やる気もあり信頼もできる方だったので、三重県の協会の仕事を全部お任せすることからスタート。
その後、年齢の壁も乗り越え、見事資格を活かせる転職に成功。
一人娘の将来のために、本気で頑張る母親の背中を、今も見せ続けています。素晴らしいです。
村井さんからのコメント
離婚後、乳飲み子の娘を抱えて闇雲に働いてきました。
「離婚裁判」、「養育費減額請求」にいわれのない中傷など、ここで逃げ出せばきっと、もっと悪くなる。
だから、資格を取ろう、周りから揶揄されずに頑張ろうと思ってきましたが、コロナと不景気の波に抗うことができませんでした。
当時の就業先の社長から、「どうせ国から、児童扶養手当を貰えるんやから一生懸命働かんでもええやん」と言われると、一生懸命に働いてその対価を得る事を認めて貰えないんだと思い知ったときには、何だかこの会社でこのまま居て何の徳になるんだろうと思うと、やっぱり辞めよう、きっと他にも私と同じ考えの人が世の中にいるからと、思い切って退職しました。
確かに、再就職に時間がかかり何度も面接で落ちたり条件が非常に良い会社でも、娘の学校の問題など直ぐには動けない辛さがありました。
その間、早朝のアルバイトや週に何回かの派遣の仕事などで生活をやり繰りし、このままずっと娘のためと頑張ってきたのに辛い思いをさせて終わるのかと不安になりましたが、それでも絶対に、シングルマザーの中にこの状況がオカシイと思っている人が絶対にいるとネット検索をはじめ、そして「シングルマザー支援協会」に出会う事ができました。
江成さんや山木さんから面談やお話を伺っていて、年齢的にも厳しいことや今後の就業先も希望通りにはいかない覚悟もいることなど、身につまされるお言葉も頂戴しましたが、子供が安心して暮らせる生活をと、いちから学び協会の支援をお願いしました。
でも、そんな矢先に今の就業先に採用が決定し江成さんと山木さんに、恐縮しながらご報告をしたところ「良かった、良かった」「もしも、駄目になったら、帰っといで」と返して頂きました。
協会にぐっときたのは、この二言です。
何故って、帰っといでってこの言葉で安心できませんか?
そうだ、きっと、まだ頑張れる場所がきっとあるってこの言葉で確信がもてませんか?
今の私は、本業と協会で紹介してくださった副業で、のびのびと笑顔で仕事が出来る、そんな環境作りに励んでいます。
乳飲み子だった娘は今年、大学に合格することが出来ました。
私は、娘の反面教師ですが、大人になっていく娘を少しでも支えられればと考えています。
最後に、これからが大変だな心配だなと思われているママ、どうか、不安が少しでも軽くなりますように少しずつでも明るい未来が開けますように、一緒に頑張りましょう。
※日本シングルマザー支援協会の「自立」とは、少しでも貯蓄ができていて、未来への希望を持てる状態を言います。